この投稿欄の1月15日、某新聞社記者によると、『これだけじゃないかもね。新聞社経由でたくさん義援金おくられているけど、これもあやしいんじゃない』とある。
これ非常に重要。実際、東日新聞は【豊橋善銀報告】として毎回紙面で掲載している。東愛知新聞は全く発表しない。東愛知新聞社に義援金・支援金を持って来ると、よく写真付で記事が載っている。記事を書いて欲しい支援者がよく東愛知新聞社に義援金を持ってくる。
これら一般の義援金も東愛知新聞はネコババしているのではないか、と社員の間で噂になっている。いわゆる『伏魔殿』である。
実際、東日新聞の【豊橋善銀報告】などを見ていると、東愛知新聞社に持ってきてくれた一般の義援金がほとんど載っていない。疑惑有りである。
これもこの際に、明朗会計にして欲しい。酷い話だが、一般の会社・団体から預かった義援金が善銀に送られずに、東愛知新聞社の口座に入っていても誰も判らないのだ。兎に角、東愛知新聞社は『伏魔殿』なのだ。これらも解明しなければならない。
以前、東愛知新聞社の藤村圭吾前社長のやり方を《まるで北朝鮮》のようだと表現した社員がいた。また、会社の建物と会社の雰囲気を《まるで(オーム真理教の)サティアンだ》と表現した社員もいたほどだ。
東愛知新聞社へ
1、藤村正人社長が言い訳した『経理ミス』は世間を欺くための嘘だった、と誰にでも分かるように説明しろ。
2、広告義援金の半分、451万5千円の豊橋善意銀行からの受領書を公開しろ。
3、広告義援金のもう半分、会社の収益にした451万5千円についても、お詫びの気持ちを込めて今後、義援金として収めていくことをしろ。
4、豊橋善意銀行(水野勲理事長)へ2011年4月に渡された目録の100万円が、なぜ5年間も支払われずに放置されたのかを、説明しろ。
5、特集企画の広告義援金 だけでなく、一般の寄付金についても、過去に不正会計が無かったか調査して公表せよ。
6、記者会見して真実を発表して深く謝罪しろ。経営者の傲りからとんでもないことを してしまった、と謝れ。会社のウミを全部出してやり直すと、記者会見、新聞紙上、HP上で誓え。
7、今後、真実・公正・正義を実現していくと、新社長が記者会見、新聞紙上、HP上で発表しろ。
藤村圭吾前社長が昔、水上ビルでやっていたのが『電話担保金融』というものだった。昔はNTTの電話をひくには「電話加入権」を約5万円位で買わなければ電話を付けれなかった。
この「電話加入権」を担保にして、お金を貸すのが『電話担保金融』である。10万円~50万円程度のお金を貸していたが、特例で高金利〔最高年利54.75%=WEBによる〕を取ることが法律上許されていたという。
こういった貸金業者は豊橋市内にも沢山あったという。今でいうサラ金と似ている。それを藤村圭吾氏と初代の川上義隆氏はやっていたと云う。 藤村氏は川上氏から街金融のノウハウを教わったのである。藤村圭吾氏とコンビを組んで事務処理をこなしていたのが東愛知新聞社の現在の経理のお局様である。この人物が所謂、伏魔殿の中心人物と云うべき人である。藤村圭吾氏は東愛知新聞社で営業の仕事をこなしていた時も、水上ビルの事務所に彼女を一人残して電話金融の仕事を任せていた。勿論、電話金融の営業は藤村圭吾氏であった。
藤村圭吾氏は経理のお局様を水上ビルに残して電話担保金融の事務をやらせていたが、新聞社が街金融をやっていては信用がなくなるとして、たぶん平成7年頃(多少ズレがあるかも知れない。知っている方は教えて。)にお局様を新聞社に入れた。
やはり東愛知新聞はこのような失態を起こしてしまいましたか。元社員として大変恥ずかしく思います。本多君は社長ですか?経営自体、成り立たなくなると思います。それであれば、元常務で編集局長の井上氏の方がまだマシです。編集局長に就任した中村君も記者としては線が細く局長としては役不足。思い切って外部登用し、血の入れ替えを図るべきだ。
一回目特集(2011年3月25)=企画段階は藤村正人営業本部長と藤村圭吾社長はネコババする気はなかったと考えられる。100万円の目録からの考え方。最初の協賛会社・団体は214広告。
- 2011年4月4日=藤村圭吾社長は豊橋善意銀行の水野勲理事長に100万円の目録を預託した。この時点でもネコババする気はなかった、と考えられる。次の特集企画が2011年9月にある。
その間に払っていないことを社長は把握したのではないか。二回目特集~八回目特集(2011年9月~2015年3月)の特集企画に関しては完全に最初から全く払う気はなく、詐欺をしようとして実行している。その額は344万5千円である。
当然だが、最初からネコババしようとしてやったのだから二回目~八回目は初回より罪は重い。
ここら辺りの説明を藤村正人社長はしっかりと、誰にでも分かるようにしなければいけない。
また、4月1日から新社長に就任する本多氏は、説明責任を果すと記者会見で言ったのだから、藤村正人社長に問い質さなければいけない!本多氏は真実を発表できないようなことにでもなったら、今度は本多氏自身が辞意表明しなければならなくなる。
藤村正人社長以外で『経理ミス』が明らかに嘘だと判っている者が現役幹部社員で一人いる。それは藤村正人社長が「先代や自分は、自分のポケットマネーに入れたのではなくお前達社員の給料になったんだぞ」「何を正義感ぶってお前達は話しているんだ」と強い口調で話したのを私と一緒に聞いた幹部の一人です。その幹部は本多氏を説得して、今までは『経理ミス』と発表してきたが、調査が不十分だった。しっかりと調査したら『経理ミス』ではなく、藤村圭吾前社長と藤村正人社長が全部やらかした事だった、と説明責任を果たしなさい。
- 今回、義援金未払いが告発されなければ、このままずっと協賛広告義援金を会社の収益金にしていた。藤村正人がこれからもずっと続けると社員に話していた。いままでも、「関東大震災○○○周年」「広島土砂災害復興支援」「ネパール大地震義援金」などを絡ませながら
『東日本大震災復興支援』を続けて、集めた義援金を全て会社の収益金としていた。 - 藤村正人は自分のポケットマネーに入れなければ、法律に触れず、罪にならないことを承知の上でネコババしていた可能性が濃い。だから余計にしたことが悪どい。
- ある人は、藤村正人は『人を食い物にしている』とさえ表現した。正にその通り、広告主、何も知らず広告を集めた広告部員、災害による被災者などを食い物にした。
- 昨年12月発覚してから日本新聞協会へ釈明にいってから社員あつめ、日本新聞協会を除名になるかも知れない、その場合には社員から辞めてと云われれば辞めますが、ただ自分は一兵卒になっても東愛知新聞とは関わって行きたい、東愛知新聞の最後の一人になっても東愛知新聞社に残りたい、と話している。
名古屋地方検察庁豊橋支部の検察官が昨年の10~11月中旬に次のような事を話したのを私は聴いた。
○今回の様に、企業が東愛知新聞社の口座に直接振り込む場合には、それが義援金目的で集めたものであって、全額会社の収益になっても、それを罰する法律は無い。
○個人から義援金をだまして、会社の収益にした場合には、まだ犯罪になる可能性は高い。
○会社や個人から義援金を集め、社長が自分のポケットマネーにした場合には取り締まる法律はある。
○今回2011年3月の一回目の特集では214社の企業・団体の協賛広告が集まった。(1社=1万円、5千円を義援金)
○二回目特集(2011年9月)=協賛広告=198社。
○三回目特集(2012年3月)=協賛広告=120社。
○四回目特集(2013年3月)=協賛広告=96社。
○五回目特集(2013年9月)=協賛広告=73社。
○六回目特集(2014年3月)=協賛広告=81社。
○七回目特集( 2014年9月)=協賛広告=63社。
○八回目特集(2015年3月)=協賛広告=78社。
○延べ903社・団体が協賛広告を出している。1社=1万円。その内半分=5千円が義援金。義援金総額=451万5千円。残りは会社の利益になった。
○義援金451万5千円は告発があった後の2015年11月25日に豊橋善意銀行に納めたと藤村正人社長は云うが善銀の受領書は公には発表されていない。
○2016年4月1日から本多亮社長新体制が始まる。(藤村正人は3月31日付で退社する)
○だが未だに何が起こったかの、真実の説明責任は、果たされてはいない。約3カ月言い訳ばかりであり、嘘の上塗りに終止している。
2回目の協賛広告義援金から8回目まで、つまり2011年9月~2015年3月まで5年間に亘って最初から広告主をだます目的で「東日本大震災・復興支援の義援金にご協力を」の企画を藤村正人社長は単独で実行していた。営業局広告部員は当然義援金として被災地に役立つものと信じて広告を募っていたのだ。
藤村正人さん(14回生)
東愛知新聞社 代表取締役
【プロフィール】
昭和54年 愛知県立豊丘高校卒業 昭和58年 名古屋テレビ報道カメラマン(嘱託) 平成20年 東愛知新聞社入社 平成21年 取締役営業本部長就任 平成23年 代表取締役社長就任
現在 東愛知新聞社 代表取締役
【神童と呼ばれて・・・】
小学4年までは神童と呼ばれたほど記憶力に長けた明るい子どもでした。漢字100文字を3分で覚 えて書き出せたり、400字原稿用紙3枚分の文章を5分で暗記し、原稿なしで発表出来たりしてい ました。ところがその年の夏に大型犬に襲われ一命は取りとめたものの顔に大きな傷を負い、それが コンプレックスとなって根暗な少年時代とひねくれた中学生時代を過ごしました。
【好きな本を読め】
郡制入試だったため、選んで豊丘に来たわけではありませんでした。入学してから豊丘の良さ、自由 と自立、生徒会主導の学生による学生のための校風が妙に合いましたが内申点もボーダーラインのギ リギリ合格でしたので在学中はみんなについていけず勉強は苦手でした。ただ恩師の1人、現国の湯 浅先生から「なんでもイイから好きな本を読め」と勧められて始めた読書(文学小説1割、推理・SF ・バイオレンス9割)が後のマスコミ界に入った際に役立ったなあ~と思ってます。 在学中の出来事は中学からハマったギター演奏でシンガーソングライターを目指した高校3年間でし た。最も得意だったのは「神田川」や「22才の別れ」など、かぐや姫のナンバーで自作曲もフォー クソングの曲調が大きく影響してましたね。あまり学校行事に参加せず覚えていないのですが、当時 他校ではあり得なかった「クラスキャンプ」はクラスメートとの絆が深まりました。クラスキャンプ とは夏休みの間に1クラス単位で2泊3日までの予定で好きな所へ行けるキャンプで参加は自由、勉 強をするわけでも社会見学をするわけでもなく、クラスメート同士が行った先で自由に語らいながら 親交を深めれた旅行でした。今はもうないと思いますが?今でも鮮明に蘇る思い出です。
【フォークシンガーから報道の世界へ】
夜間大学を中退しフォークシンガーを目指して4年目を迎えた時に父が大病を患い大手術を受ける事 となったためシンガーの夢を諦めて帰郷、マスコミ志望ではなかったがビデオ制作会社に入り出向す るかたちでテレビ局の報道カメラマンとなり、テレビ=芸能界と勝手に結びつけてこの業界に足を入 れました。そして25年間の東三河のニュースを追うカメラマン生活を経て、前述した父が社長をし ている東愛知新聞に招かれ、現在に至っています。
【マスコミに必要な素質】
マスコミの仕事は今起きている現実をいかに正確に伝えるか!です。ゆえに専門的な勉強などありま せん。如何に知識があっても現場での取材対応が出来なければ役に立ちません。必要な素質は「野次 馬根性」と「ブレない精神」を持ちながら毎日休みなく学びながら取材する事です。
【身近なマスコミとして】
新聞は毎日発行する紙媒体で、テレビやインターネットと比べて速報性には欠けますが正確、信ぴょ う性の高い情報源です。多くの読者が知りたい情報を解りやすく文章にして提供する仕事だと考えて います。しかも私のやっている東愛知新聞は地方紙と呼ばれる地域限定の新聞ですので大新聞のよう な世界経済や日本国政府の話より豊橋市を中心に東三河の話題を発信する身近なマスコミです。
【新聞の存在意義】
新聞、テレビ、ラジオの時代からインターネット全盛期となった今が一番苦労している時代です。若 者の新聞離れを食い止める妙案はなかなか出てきませんし、購読者も減って来ています。 先ほども言いましたが新聞の正確性と信ぴょう性はマスコミ界では1番です。東日本大震災の時、被 災者が最初に災害の規模を知ったのは地元の新聞社が張り出した壁新聞でした。わずか1000文字足 らずの手書き新聞に避難所の人々が食い入るように見ていたそうで、この情報を得るために休むこと なく奔走する記者魂をもった社員の育成も苦労と言えば苦労でしょうか。 明日何が起こるか分かっていればニュースは必要ありま せん。例えば明日のプロ野球の試合結果が分かっていれ ば誰もその記事は読みませんよね。マスコミの仕事で最 も苦労するのは毎日、毎日違う記事を書きニュースを追 っていることでしょう。簡単に言えば365日24時間働 く因果な商売と言う事です。
【知る権利を代表して】
休む事の出来ない仕事ですが、新聞は国民みなさんの知る権利を代表して取材活動をし情報を記事と して提供する責任ある立場があります。ゆえに我々は首相だろうが大会社の社長だろうが取材を申し 込み面会する権利を持っているわけで、社会人なりたての人間が政財界の重鎮らと堂々と話し合う事 が出来るのはマスコミ業界ぐらいではないでしょうか? またマスコミ人は雑学家と呼ばれるように取材を通して様々な政治家・起業家・芸術家・医師・大学 教授などと合う事によって専門分野をタダで教えてもらえ知らぬ間に知識が身につき、その知識が文 章に反映されて素晴らしい文筆家になれる可能性を秘めています。 もう1つは取材相手から「ありがとう」と言われた時の喜びでしょう。地域密着の地元紙ですから東 三河で色々な方と会い取材します。その記事に関して相手から感謝の言葉をいただいた時、新聞社に 入ってよかったと思える至福の瞬間であり、もっと人から喜ばれる記事を書こうという気持ちになれ るのが魅力でしょうか。
【東三河の「郷土の代表新聞」】
東愛知新聞は昨年で創刊55周年を迎えました。先人たちが名古屋からではなく豊橋を中心とした東 三河からの情報発信をと立ち上がり築き上げてきたこの新聞を「郷土の代表新聞」として東三河78 万人の方に認めていただき、より多くの方に読んでいただくことが1番の目標です。そして記事だけ でなく社の主催する様々なイベントでこの地域を盛り上げて全国から注目される市町村に出来ればと 考えています。その為には毎日の新聞制作だけでなく信頼性の高い新聞社発行のフリーペーパー事業 や老若男女全ての方が色々な立場で参加出来るイベント事業などを手がけていければと思っています。 夢は10年後か20年後か分かりませんが東三河地方の情報源の要として誰もが毎日手にする新聞とな っている事と仕事から離れ半年か1年ほど20代で出来なかったギター片手に作詞作曲の1人旅をし てみたいですね。
【取材を終えて】
毎日読んでいる東愛知新聞、母校50周年の折には大きく取り上げていただき感謝しております。 個人的にも何度かお世話になっていますが、毎回とても良い記事を書いて下さいます。 同級生でもある藤村社長の新聞に関する熱い思い、また聞いた事のない昔話が聞け 大変楽しかったです。これからも地域を応援する地元新聞として、頑張って下さいね! (14回生 杉浦由子)
東愛知新聞、平成28年4月1日付第一面 に次のような囲み記事があります。
3人の常勤役員体制
<span style="line-height: 1.5;">東愛知新聞社は1日付で代表取締役が交代し、新しい代表取締役に本多亮取締役相談役が就任しました。また小嶋章広制作局長、梅村和宏営業局長が新たに取締役に就き、3人の常勤役員体制としました。</span>
藤村正人前代表取締役は3月31日付で退社しました。
読者や協賛企業・団体、新聞販売店の皆さまにご迷惑とご心配をお掛けした震災義援金をめぐる不祥事については今後も調査を進め、その結果は公表する予定です。東愛知新聞社
東愛知新聞、平成28年5月12日付第一面に次のような囲み記事が掲載されています。
震災支援金問題調査委員会を設置 東愛知新聞社
東愛知新聞社は、東日本大震災の支援金をめぐる不祥事の経緯などを調査する第三者委員会「震災支援金問題調査委員会」を設置し、11日午前、本社内で第1回の委員会を開きました。委員は法律などの専門家と有識者計4人。今後、調査を進め、報告書を提出していただく予定です。
報告書については読者の皆さんや関係者に公表します。
委員は次の皆さんです。
委員長=中村成人(弁護士)。委員=後藤文良(税理士)、原基修(元豊橋市議会議長)、越知專(元東愛知新聞友の会会長)。
新聞社としての信頼回復の第一歩です。委員の皆さんには第三者の立場で不祥事の経緯や今後の対応などを調査、検討していただきます。報告書は紙面に掲載するなど、読者への説明責任を果たしていく所存です。(代表取締役 本多亮)