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東愛知新聞社 藤村正人社長の不正1

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(@匿名)
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これで正人の疑惑追及も終わりですね。


 
投稿済 : 2016年3月14日 11:59 PM
(@匿名)
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ただ藤村正人社長が言い訳していた『経理ミス』でこのような事が最初(2011/3から2015/3まで)から起こってしまったと釈明してきた事。この点、藤村社長も、東愛知新聞社も、まだ明確に世間に説明していない。本当に謝罪していないと思う。そこまでは、もう良いじゃないかと、云う人もいるかも知れないが、世間を騙して、偽りの説明をしてきた責任は辞任しただけでは消えないと考えます。善意銀行の関係もありますし、これからどこかの会社が被害届けを出すかもしれません。今回の事件は地元にとって、非常に大きな問題を孕んでいるのだと思います。


 
投稿済 : 2016年3月15日 12:34 AM



(@匿名)
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東愛知新聞 新社長に本多相談役
「新聞社としての説明責任果たす」
2016/03/15
東日本大震災の復興支援目的で集めた広告料約450万円を寄付せず、会社の収益にしていた問題で、東愛知新聞社(豊橋市)は14日、同日付で藤村正人氏(55)の社長退任と、本多亮・相談役(68)の社長就任を正式に内定したと発表した。同社で記者会見した本多氏は「信用回復に全力で取り組みたい」と述べた。

同日開いた臨時取締役会で、次期社長人事を協議。藤村氏は一連の不祥事の責任を取り今月31日付で退任し、本多氏が4月1日付で社長に就任することが決まった。退任後の藤村氏は役職などに就かず、完全に同社から離れる。

本多氏は会見で「読者や広告の協賛企業・団体、販売店に改めておわび申し上げたい」と陳謝した上で「60年間、積み重ねてきた公器としての歴史を維持する思いで取り組む」と述べた。

再発防止に向け「会社の経理を透明化し、新聞社としての説明責任を果たしていきたい」と強調し、引き続き実態解明の調査を進める考えを示した。

本多氏は1947年、名古屋市出身。早稲田大第一文学部を卒業後、97年に東愛知新聞社入社。編集局長を経て、今年1月から相談役。

同社を巡っては、2011年3月から被災地支援の特集面を計8回掲載。広告料の半分を公益財団法人「豊橋善意銀行」に寄付するとしていたが、昨年11月に社外からの告発で送金していなかったことが発覚した。

同社は経理ミスだったとして約450万円を寄付し、社内処分と再発防止策を発表したが、日本新聞協会は2月17日、同社の会員資格を12カ月間停止することを決めた。

今月2日、同社は臨時取締役会で藤村氏の社長退任を正式に了承。その場では後任人事が決まらず、後日協議するとしていた。
【解説】東愛知新聞社の「寄付金流用問題」
「老骨にむち打って―」と就任会見に臨んだ本多相談役。ただ、長年真実を追求する新聞記者出身の新社長からも、「寄付金流用問題」について、真相が語られることはなかった。

本多氏は、寄付金を社内の経費に使ったことについて、「(寄付を)預り金として計上すべきところ、広告収入としてしまった」と釈明。「意図的ではなかった」として、「経理ミス」とする従来からの説明を繰り返した。

東愛知新聞社は今月2日付の紙面で「全社一丸になって読者への説明責任を十二分に果たし―」としている。ただ、真相の調査について、社外の第3者に委ねるかなどの方法や結果の公表時期については、会見でも「検討中」「未定」。問題発覚から3カ月以上も経過した時点にしては、「調査不足」「説明不足」の印象は否めない。

また本多氏は、社内流用の事実を知った時期を「(昨年)11月だった」と答えた。だが、12月3日付の同紙に掲載した「おわび」には、こうした重大な事実は触れておらず、公表したのは3カ月後の今月2日。同氏は「調査中だった」「対応はまずかった」と歯切れの悪い弁明。当時編集局長で紙面作成の責任者だった本多氏自身が、重大事実を公表しなかった点も今後、丁寧な説明が求められる。

今回の会見には、問題の核心をもっともよく知る立場にあり、今月末まで社長にとどまる藤村氏の姿はなかった。会見からは、新旧両トップが積極的に説明責任を果たそうという姿勢がみられない。

郷土紙が一度失った信頼を回復するには、「経営体制の刷新」と「説明責任」は欠かせない。藤村氏は社外に去ることになるが、新たな経営陣がこれまでの経営体質に決別したことを見せるには、今後、どれほど丁寧な説明をするかにかかっている。

http://www.tonichi.net/news/index.php?id=51487


 
投稿済 : 2016年3月15日 4:50 PM
(@匿名)
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今日の東日新聞の『問われるトップの説明責任』〔解説〕の中で『郷土紙が一度失った信頼を回復するには、「経営体制の刷新」と「説明責任」は欠かせない。』とあった。全く同感である。

昨年12月藤村正人社長が日本新聞協会に釈明に行った後で、「社員総会」の名目で社員を集め、現状報告したことがあった。そこに、東愛知新聞社が経理を委せている蒲郡にある広中タックスサービスの若いヨネヤマという、社員が次のようなことを話した。「私は寄付金(義援金のこと)は一度も聞いたことが無い。もし聞いていれば、どうなっているか指摘できた。会社(東愛知新聞社のこと)の経理 の方もたぶん知らなかったと思います。以下略」などと話して藤村正人社長を弁護した。たぶん、社長と口裏合わせをしていたと考える。現在、広中タックスサービスの廣中浩一氏と水藤裕治氏は東愛知新聞社の取締役(非常勤)で昨年11月25日の株主総会で再任 されている。このように、「経営体制の刷新」は非常に難しく、どうしても藤村色が付いてまわる。東日新聞の石川記者が、「藤村氏は社外に去ることになるが、新たな経営陣がこれまでの経営体質に決別したことを見せるには、・・・」 と書いているように、本多新社長・東愛知新聞社の地元への信頼回復への道程は厳しいものとなろう。


 
投稿済 : 2016年3月15日 11:24 PM



(@匿名)
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3月15日付東愛知新聞「本社新社長に本多亮氏」。本多次期社長の話「(前略)。東三河の公器としての郷土紙を守るために、社内の透明性を図り、新聞社としての信頼回復に全力で取り組んでまいります。」

同日の東日新聞には、本多氏の言葉として「会社の経理を透明化し、新聞社としての説明責任を果たしていきたい」とある。

同日の中日新聞には、本多氏の言葉として「あらためておわびし、信頼回復に全力で取り組みたい。社内経理の見直しと透明化を図りたい」と語った。


 
投稿済 : 2016年3月16日 7:53 PM
(@匿名)
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  1. 広中タックスサービスのヨネヤマ氏が「(協賛広告の半分を義援金に渡すことを)会社の経理の方もたぶん知らなかったと思います。」と昨年12月、藤村正人社長同席のもと、社員に話している。だが、これはおかしい。

2011年4月4日に藤村圭吾社長が善意銀行の水野勲会長に100万円(214社から集めた214万円の約半分、ハバを切り捨てている)の目録を渡しているので、会社(経理)が広告費の半分を義援金として渡すことを知らなかったなどということはあり得ないことだ。ここにも藤村正人社長の何とかして誤魔化そうという、意志を垣間見ることができる。ヨネヤマ氏が話したその場に藤村正人社長もいたのである。ヨネヤマ氏はおそらく、100万円の目録の事は知らなかったと思う。<span style="line-height: 1.5;"> </span>


 
投稿済 : 2016年3月17日 5:45 AM



(@匿名)
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東愛知新聞が義援金は善意銀行に渡したと自社新聞で告知しているものの、後日そのお金を着服していたことが発覚。

これは明らかに詐欺だ!

 


 
投稿済 : 2016年3月17日 6:40 PM
(@匿名)
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藤村正人の発言:

親も俺も自分のポケットマネーにはしてないぞ。義援金はお前らの給料になったんだぞ。お前らの給料から返していくのか。

12月のボーナスが無くなってもいいのか。

何を正義感ぶって(お前たちは)話しているのだ。

(百万円の目録を水野理事長に渡している東愛知新聞社の一面の新聞記事を見て)「これはまずいな」。

(義援金が払われていないことを発見した社員は)新聞社を潰す気か。

今後、(年に二回の復興支援の特集企画のたびに)10万円ずつ、(豊橋善意銀行に)返していくか。

 


 
投稿済 : 2016年3月17日 6:50 PM



(@匿名)
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編集部で一度、東愛知新聞に取材してみてはいかがでしょうか?


 
投稿済 : 2016年3月17日 7:36 PM
(@匿名)
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匿名様

ここまで明らかになれば、今必要なのは取材よりも被害者の方々による告訴かなとおもいます。


 
投稿済 : 2016年3月17日 10:06 PM



(@匿名)
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東愛知新聞社を良く知る人は、藤村圭吾社長の社員の扱いが、まるで「吸血鬼」の様であったと証言した。社員をだしにして、社員から(エネルギーを)絞り取っていたとも表現した。真面目にしっかり働く人間は死ぬまで働かされる。社内が雰囲気が、漂う気が社員の精神をおかしくする様な状態。

ひとつには、会社の福利厚生が挙げられる。世間から見ると新聞社に勤めているのでさぞや給料・ボーナス などしっかり貰っている、と想像しがちだが現実はそう甘くはない。

給料はおそらく最低賃金を割っているのではないか。そんなバカなと答が返ってきそうだが、これが現実である。ボーナス(東愛知新聞社どは一時金と呼ぶ)も毎回出るかどうか直前まで分からず、「信用金庫から頭を下げて借りてきたぞ」と云われたこともあった。また部署によっては就業時間も多い。

退職金も、東愛知新聞社、東海日日新聞社ともに働いたことがある人物から聞いたことがある。東愛知は1年1万円の計算で間違いないそうだ。20年勤めて20万円、30年勤めて30万円だ。一方、東日新聞はしっかり出すそうだ。今は判らないが昔は第一生命と契約していたらしい。20年勤めて250万円、定年まで勤めれば700~800万円は貰えるようだ。給料は東愛知新聞とそう変わらないそうだ。だが退職金がこうも違う原因は、東日は所謂中部ガス傘下の会社で福利厚生が昔から良く。東愛知新聞社は先代藤村圭吾社長がヤミ金(電話担保金融、街金)上がりで、昔から福利厚生なんて社長自身、頭になかった、と詳しい人から取材できた。

昔のことに詳しい知人から聞いた話では、東愛知新聞社の創業者の川上義隆社長(東愛知新聞の前身の夕刊とよはしを創刊した)自身、元は金融貸し(正規の金融とヤミ金の両方)をしていた人物だったらしく、藤村圭吾氏は川上社長から金貸しのノウハウを学んだと云う。東海日日新聞社の社長をした宮脇良一氏が著した『豊橋言論史』には、川上義隆社長は昭和31年『養鶏新聞』を創刊したとあり、川上社長は杉田窓有子の昭和29年の『不二タイムス』にも副社長、また杉田氏が会長になって川上義隆が社長になった時もあったという。その後、不二タイムスは分裂、川上義隆氏は独立して昭和32年11月30日『夕刊とよはし』を創刊した。川上社長は養鶏新聞で儲けて資本力はあったと云う。最初は札木で自社印刷、昭和33年前畑町に移転、1カ月80円、1部売り4円だった。

東愛知新聞社は金儲けに重きを置き、内容的には「商業新聞(藤村圭吾社長の言葉)」を最初から目指して、東日新聞を追い越すまでになった。

兎に角、地元新聞の生き字引は、東愛知新聞社は今後はまっとうになって、福利厚生も考えて、地道に、社会とのギャップを無くす様な新聞社に成らなければならないと話した。また、この地域に2つも新聞社があるような時代は終わった、これからは1つになることが必要だと締め括った。


 
投稿済 : 2016年3月19日 2:50 PM
(@匿名)
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聞いた話だが、4月から社長になる本多亮相談役は元は編集局長で、記事は書けるが、会社の経営は出来ないだろうとのことだ。お金を集めたり、金融機関から借りたりは、出来ない人物という。せいぜい自分の小遣い程度は稼げるが、とても社員の給料を確保できる人間ではないらしい。月を追う毎に月末の給料を出すのが難しく為っていくというのだ。どうも東日新聞の白井社長の二代前の長谷川社長タイプということだ。長谷川社長も編集局長あがりで経営には疎かったという。そのため、社員が多く辞めていったらしい。その為、コサカ社長に変わったが、これがまた酷かったらしい。その後任が今の白井社長だ。本多亮氏は繋ぎの役目であり、また、東愛知新聞最後の社長になるかも知れないという話を聞いた。つまり東日新聞との合併である。コサカ社長は東海日日新聞を辞めて、その後藤村圭吾社長に拾われて常勤の取締役として暫く東愛知新聞社に来ていたが、与えられた部屋が三畳有るか無いかの便所の直ぐ横の部屋だった。暫くしてまた辞めて、その後亡くなった。


 
投稿済 : 2016年3月20日 5:47 AM



(@匿名)
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山本さんってT下さんじゃないですか?


 
投稿済 : 2016年3月20日 9:20 AM
(@匿名)
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事情通さまへ

信金時代の水野理事長と先代圭吾社長との『ズブズブの関係』をもう少し具体的に話してもらえたら有り難いのですが。二三例は御座いませんか?善意銀行の疑惑追求に非常に重要になりますので、宜しくお願い致します。


 
投稿済 : 2016年3月20日 1:34 PM



(@匿名)
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東愛知新聞社はこの機会にすべてウミを出しなさい。それからやり直すのです。


 
投稿済 : 2016年3月21日 5:23 AM
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