第1章:実名報道の決断――子どもたちの安全を守るための「知る権利」
静岡県熱海市において、「未来の子どもたちにきれいで楽しい地球を残す」という高潔な理念を掲げ、環境・教育・地域活性化のリーダーとして活動する光村智弘氏。同氏が共同創業者として名を連ねる株式会社未来創造部や、代表を務める熱海マリンサービス株式会社は、大阪・関西万博への参画や行政施策との連携を通じ、地域の社会課題解決を牽引する存在として脚光を浴びている。しかし、その輝かしい活動の陰で、同氏が過去に犯した重大な犯罪事実と、それに対する現在の不誠実な姿勢が、社会的なガバナンスと倫理を揺るがす大きな懸念材料として浮上している。
子供を持つ親たちはもちろん、その子どもたち自身に切実な問題だ!
過去の重大なコンプライアンス違反と「現在」の矛盾
客観的な事実として、2002年4月10日付の新聞報道によれば、当時「井上智弘」の名でレジャー産業会社の社長を務めていた光村氏は、当時15歳の中学3年生の少女に対し、金銭を支払って淫らな行為に及んだとして、「児童買春・児童ポルノ禁止法違反」の疑いで神奈川県警小田原署に逮捕されている。当時39歳だった大人が、多感な時期にある15歳の子どもの尊厳を金銭で買ったという事実は極めて重い。

よく似た事件にそのまんま東氏の事例がある。それと比較をすると光村氏の事例はより深刻なことが理解できるかと思う。驚くべきことは、そのまんま東氏は、逮捕もされなかったにも関わらず、遥かにおおきな社会的制裁を受けている。
| 東国原英夫氏の場合 | 熱海の場合 | |
|---|---|---|
| 被害者の年齢 | 16歳 | 15歳 |
| 対象者 | 職業従業員 | 素人 |
| 発覚 | お店の摘発の捜査過程 | 母親の警察への相談 |
| きっかけ | イメクラ | テレクラ |
| 接触回数 | 一回 | 数回? |
| 嫌疑 | なし | 児童買春・児童ポルノ禁止違反 |
| 逮捕の有無 | 逮捕はされなかった | 逮捕された |
現在、光村氏は子どもたちを主な対象とした環境教育プログラムや、未来志向のビジネスを展開している。自組織のミッションに「未来の子どもたち」を冠しながら、かつて他者の子どもの未来を著しく損なう加害行為に及んだという事実は、その事業理念との間に深刻な「倫理的破綻」を露呈させている。
取材拒否と「でたらめ」という抗弁
当報道部は、光村氏に対し、過去の逮捕事実の認否や現在の事業理念との整合性について、真意を問うべく複数回にわたり質問状を送付してきた。しかし、光村氏本人からの誠実な回答は一切得られていない。2025年8月に送付した最初の取材申し込みに対し、同氏は代理人弁護士を通じて「活動に関係のない代表者の経歴その他の個人情報については、お答えできない場合がある」という回答を寄せるにとどまった。
その後、2026年6月には、より具体的な事実確認を求めて本人配達郵便で再び質問状を送付したが、光村氏はこれを受け取らなかった。そこで普通郵便によって同氏の事務所の郵便受けに同じ書面が投函されたが、投函後2週間が経過しても、同氏および関係組織からは沈黙が貫かれたままである。ビジネスの場では「子どもたちの未来」という高潔な理想を語りながら、自らの不都合な真実や説明責任からは逃げ続けるその姿勢は、公的なプラットフォームに関わるリーダーとして極めて不誠実なものであると言わざるを得ない。
さらに、周囲の関係者からの情報によれば、「国際新聞の情報はでたらめだ」と公然と触れ回っているという。これは客観的な報道記録という動かしがたい事実を否定するのみならず、自らの過去の過ちに対する反省を完全に放棄し、被害者の存在をなきものにしようとする行為である。自らの罪を認めず、報道を「虚偽」と決めつけるその言動に、子どもの未来を語る真摯な態度は微塵も感じられない。
実名報道こそが「公共の安全」に資する
当報道部が光村氏の実名を挙げ、その過去を報じる決断に至った背景には、被害者の精神的苦しみと子供たちを危険から守るために必要な「公益性」と「知る権利」の行使を迫られたという経緯がある。
一般に、刑期を終えた個人には「更生の権利」が認められるべきであるが、光村氏のケースは、個人のプライバシーの領域を遥かに超えている。同氏は熱海市という行政機関と密接に連携し、市民の共有財産である「スパ・マリーナ熱海」を拠点として活動する、公的な影響力を持つ人物である。
特に、同氏が「子ども」をターゲットにしたビジネスや教育施策を積極的に展開している現状は、看過できないリスクを孕んでいる。実際、地元の子供を持つ母親へのインタビューでは、「熱海のマリーナには富裕層が多く訪れるが、中には『お金を払えば何でもできる』と言わんばかりの横柄な態度を取る人もいる。そうした特権意識が蔓延しかねない環境において、さらに子どもを守るべき立場である運営側に児童犯罪の過去を持つ人物がいるとなれば、親として不安で仕方がない」という極めて切実な懸念の声が上がっている。
未成年への性犯罪は再犯の危険性が極めて高く指摘される分野である。このような経歴を持つ人物が「子どもの守り手」や「指導者」として振る舞う場所へ、何も知らない親たちが自らの子どもを安心して預けられるはずがない。
リスクを回避するためには、その危険性の所在をはっきりと示さなければならない。子どもをもつ親たち、そして市民には、行政や万博関連事業に関与するリーダーの適格性を判断するための情報を得る権利がある。実名を伏せたままであれば、知らぬ間に子どもを潜在的な危険に晒すことになりかねない。
また、被害者に目をやれば、15歳の娘が39歳の大人と数回にわたり買春をされていた、という事実を知らされた当時の親の気持ちがわかるだろうか?それがその当時の家族にどれだけ破壊的な家庭環境をもたらしたであろうか。もちろん子供だって15歳という年頃で、お金で体を売るという経験をしてしまったことが、その後の人生において一生消し去ることのできない傷となって残り続けているのである。被害者たちは一生その傷を背負って生きている同じ市内で、かつての加害者が「子どもの未来」を掲げてビジネスをしているこの状況は、被害者たちを今も尚、苦しめ続けていることをわかっていただけるであろうか
したがって、光村氏の不誠実な対応と現在進行形の事業内容、そして何より地域住民が抱くリアルな恐怖心に鑑みれば、国際新聞の報道は、公共の安全を守るための必要な報道であろう。見栄えの良い「環境」という免罪符で自らの過去を洗浄し、説明責任から逃げ回る大人たちの「保身」という名の暴走を食い止めるには、憲法で保証された表現の自由の行使しかないであろう。
第2章:言葉だけの「高い倫理観」――スパ・マリーナ熱海の是正なき実態
熱海市の観光インフラの要であり、市民の共有財産である港湾施設を管理運営する「株式会社スパ・マリーナ熱海」。同社は、熱海市が40%を出資する「第三セクター」としての公的性格を持ち、一般企業以上に厳格なコンプライアンス(法令遵守)と倫理観が求められる組織である,。本紙が第一弾の記事で提起した、同社の経営に関与する人物の資質を巡る疑念に対し、同社は書面で回答を寄せた。しかし、その回答内容を精査すると、事実を認めつつも具体的な解決策を提示しないという、公共施設を預かる組織としての「深刻な機能不全」が浮かび上がってくる。
株主・光村氏の実質的関与の裏付け
今回の本紙の取材に対し、スパ・マリーナ熱海は極めて重要な事実を正式に認めた。同社からの回答によれば、令和8年6月現在、熱海マリンサービス株式会社(代表取締役:光村智弘氏)が同社の株式を100株保有しており、その出資比率は10%であるという。
これは、光村氏が単なる一利用者や外部協力者ではなく、資本を通じて同社の経営に一定の影響力を持ち、利益を享受する「主要株主」の一人であることを裏付けるものである,,。光村氏は2002年、当時39歳でありながら15歳の少女を金銭で買った児童買春の疑いで逮捕されたという動かしがたい過去を持つ,。公共性の高いマリーナ運営の舞台裏に、こうした重大な児童犯罪歴を持つ人物が「資本の出し手」として根を張っている現状が、公的な文書によって確定した意味は重い。
「知らなかった」で済まされるガバナンスの欠如
さらに看過できないのは、同社が光村氏の過去について、初めて知り得たと回答している点である。その同じ文脈で、「当社は第三セクター株式会社であることから、一般の会社以上に高い倫理観や法令および服務規律の遵守が求められるものと解している」と、その社会的責任を自覚する言葉を並べている,。
スパ・マリーナ熱海は、今後についても「公共性・公益性の遵守」「経営責任の自覚と説明責任」など、厳格な規律強化に取り組むと述べている。しかし、最も肝要な「光村氏およびその関連法人の関与をどう是正するのか」という点については、具体的な言及を避けている。

公共施設を預かる組織が、自らの株主構成に「不適切」な要素があることを自覚しながら、それに対する具体的な排除策や規約刷新の意思を示さないのであれば、その「高い倫理観」は単なる空文に過ぎない。問題を認識した上で何もしないことは、「現状維持」という名の、潜在的な危険と不正義を肯定していることと同じではないか。
特に光村氏が「未来の子どもたち」をターゲットにしたビジネスを堂々と展開している現状を鑑みれば、同氏が公共インフラの拠点に居座り続けることは、子どもを持つ親たちや市民に対する「背信行為」となり得る。同社が示した誠実な回答姿勢自体は一定の評価ができるものの、そこに実行力(アクション)が伴わないのであれば、その評価は打ち消されるどころか、むしろ「わかっていながら放置している」という点において、より厳しくその責任を追及されるべきである。
スパ・マリーナ熱海が真に「第三セクターとしての誇り」と「公益性」を重んじるのであれば、言葉を並べる段階はすでに終わっている。問われているのは、不都合な株主関係を解消し、ガバナンスを抜本的に刷新するという具体的な「実行」である。この「是正なき現状」が続く限り、熱海の海の玄関口は、欺瞞に満ちた倫理の空白地帯であり続けることになるだろう。
子供を持つ親たちが、熱海のマリーナを安心して訪れる環境作りにつとめること、それは第三セクターであるスパ・マリーナ熱海の責務でもある。
第3章:行政の「致命的な病理」――熱海市、定型文に隠された背信
熱海市の観光と経済の拠点であり、市民の共有財産である港湾施設を管理運営する「株式会社スパ・マリーナ熱海」。市が40%の株を保有する筆頭株主であり、かつ取締役3名を派遣して直接的な経営監督責任を負うこの第三セクターにおいて、今、行政の「誠実さ」が厳しく問われている, 。本紙が熱海市に問うたはずの重大なコンプライアンス問題に対する熱海市の回答は、市民への説明責任を放棄し、形式論の裏に隠れて責任を回避しようとする、行政の「致命的な病理」を露呈させるものであった。
繰り返される「適切に対応」という名の無責任回答

当報道部は2026年6月、熱海市に対し、市が出資する法人のガバナンスと、重大な犯罪歴を持つ人物が共同株主として関与することの是非を問う質問状を送付した。具体的には、児童買春などの重大犯罪を犯した者が共同株主に含まれる場合の排除基準や、主要株主に対するコンプライアンスチェックの仕組みの有無を質したものである。
これに対し、熱海市長・齊藤栄氏の名で寄せられた回答(令和8年7月7日付)は、驚くべきことに、本質的に異なる三つの設問に対し、全く同じ文言の定型文を機械的に繰り返すのみであった 。
「会社法および総務省が発出した『第三セクター等の経営健全化等に関する指針』等に基づき、適切に対応してまいります」
この回答は、具体的にどのような基準で、誰が、いつ、いかなるチェックを行っているのかという「事実」について一切触れていない。行政が「指針に基づき適切に対応する」と述べるのは当然の前提であり、質問が求めているのは、その実効性と現状の適否である。この中身のない官僚答弁の繰り返しは、事実上の回答拒否であり、市民の「知る権利」に対する明白な不誠実さの表れと言わざるを得ない。
株主構成に関する質問に関しては、実に的を得た誠実な回答をしてきたものの、この問題の核心的な部分である質問に関しては、形式的には回答しているものの、実質的には回答していないのと同じなのだ。
斎藤栄熱海市長の誠実な回答を損なう不誠実な回答
斎藤栄市長は多忙な中、回答をくれた、という点に関しては、素直に称えたい。
しかし、回答書の内容に目を向けると、熱海市への質問状の内容と、それに対する熱海市からの回答(令和8年7月7日付)を照らし合わせると、行政としての説明責任を回避し、核心的な問いに対して正面から答えていない「チグハグ」な実態が浮き彫りになる。
その静岡県熱海市の「斉藤栄」市長の狡猾なレトリックを質問状と回答から見てみよう。
「具体的基準」を問う質問に対し「定型文」で回避
質問側は、児童買春などの重大な犯罪歴を持つ者が共同株主に含まれる場合の「排除基準」や、実質的な影響力を持つ「主要株主」に対する「コンプライアンスチェックの仕組み」の有無を具体的に問うた。
これに対し、熱海市は以下の3つの異なる質問に対し、全く同じ文言の回答を繰り返している。
市の回答内容: 「会社法および総務省が発出した『第三セクター等の経営健全化等に関する指針』等に基づき、適切に対応してまいります」。
これがなぜチグハグなのか。
それは、仕組みの有無を答えていないからだ。「チェックを行う仕組みや規定は存在しますでしょうか」とイエス・ノーを含めた実態を問うているにもかかわらず、斎藤栄市長は指針に基づき「対応する」と述べるのみで、現時点でそのような規定が存在するのか否かについては回答を避けている。
次に、市の倫理的スタンスの欠如がある。
質問状では「法的に問題がない(関知しない)」というスタンスを取るのかという行政の見解を問うていますが、ここでも法律名を挙げるだけの回答に終始し、市としての道義的な判断や見解が完全に欠落しています。
さらに、「人物の妥当性」の問いを「一般論」にすり替えています。
最も深刻なチグハグさは、環境施策のパートナーとしての妥当性を問う項目に見られます。質問側は、15歳の少女に対する児童買春で逮捕された経歴を持つ人物が、「未来の子どもたち」を冠した施策のリーダーとして関与することの「妥当性」と、市民への「説明責任」を問いました。
しかし、その斎藤栄市長の回答で行われたのは、巧妙な論点のすり替えでした。
斎藤栄市長の回答は、「本市の環境施策については、環境基本法をはじめ熱海市環境基本条例の基本理念に基づき……適切に進めてまいります」というものだった。
なぜこれが深刻さを伴うチグハグさなのか。
その理由は「特定の犯罪歴を持つ人物との連携の是非」や「ガバナンスへの懸念」を問うているのに対し、市は「環境基本法に基づき施策を進める」という、質問の意図とは全く無関係な「環境施策全般の一般論」を述べて回答を拒絶しています。これは、行政が不都合な事実(人物の適格性)から意図的に目を背けている証左と言える。
形式的な「監督」の強調と「実質的ガバナンス」の乖離(Q1-1)
唯一、具体的に答えているのが「3名の取締役を派遣し、取締役会等を通じて経営健全化に関与している」という点。
斎藤栄市長は監督責任の矛盾: 取締役を派遣して「経営健全化の取組に関与している」と主張しながら、その一方で「主要株主の犯罪歴」という経営上・ブランド上の重大なリスク要因については、指針に基づき「適切に対応する」と述べるだけで、現時点でどのような是正措置をとったのか(あるいはとる予定なのか)には一切触れてない。派遣された取締役が機能しているのかという、実質的なガバナンス能力に強い疑問符がつく回答となっている。
熱海市の回答は、法的な名称や指針を並べることで「回答した形」だけを整えていますが、その中身は「特定の人物への言及を避け」「既存の規定の有無を隠し」「行政としての価値判断を放棄する」ものであり、質問状が提起した市民への背信行為やブランド失墜の懸念に対し、全く誠実な回答になっていないと言えます。

「経営と所有の分離」を盾にした背信行為
子どもの尊厳を奪った過去を持つ人物を「子どもたちの未来」を語るリーダーとして公的に後押しすることの是非を問うているのに対し、「環境基本法に基づき進める」と答える。このチグハグな回答は、行政が「経営と所有の分離」あるいは「法的な形式要件」を隠れ蓑にして、実質的な倫理的危機から目を背けている証左以外の何物でもありません。
形式的な法律さえクリアしていれば、パートナーの過去の重大な非道徳性は「関知しない」とするスタンスは、市民、とりわけ子どもを持つ親たちに対する重大な背信行為ではないでしょうか。
「ことなかれ主義」が伊豆山土石流災害の二の舞を招きかねない!
目の前にある不都合な真実や潜在的なリスクを直視せず、形式的な手続き論や法解釈だけで「問題ない」として先送りにする――。この熱海市の「ことなかれ主義」とも言える行政体質は、我々に既視感を与える。それこそが、戦後最悪とも言われる悲劇、あの「熱海市伊豆山土石流災害」を招いた根本原因ではなかったでしょうか。
伊豆山の災害においても、不適切な盛り土の存在という明白なリスクがありながら、行政は形式的な指導や手続きの不備を理由に実質的な是正を怠り、結果として多くの市民の命と尊厳が奪われた。今回の問題も、対象が「土砂」から「人物の倫理」に変わっただけで、その構造は同じである。不都合な事実(主要株主の凄惨な犯罪歴と反省の欠如)を形式論で包み隠し、「適切に対応している」という虚妄の言葉で現状を維持しようとする姿勢は、熱海市に今なお深く巣食う「致命的な病理」そのものです。
命を脅かす災害であれ、子どもの安全と尊厳を脅かす倫理性であれ、行政が「自分たちの任期中に表立った問題にならなければいい」という自己保身を優先する限り、市民の安全は守られない。形式論を武器に市民を欺き、実質的なガバナンス不全を放置し続ける熱海市の態度は、行政としての機能を果たしているとは到底言い難い。この病理を治癒するためには、欺瞞に満ちた定型文を排し、真実に基づいた説明責任を果たすことが第一歩となるはずです。熱海市民はこうした、行政が自らの無責任さを直視し、実効性のある是正に踏み出すまで、その「逃げ」を許してはなりません
第4章:看板の欺瞞――「未来創造部」枝廣淳子氏の言語道断な沈黙
静岡県熱海市を拠点に「未来のこどもたちに きれいで楽しい地球を残す」という高潔な理念を掲げ、環境ビジネスや環境教育を推進する株式会社未来創造部。その共同創業者であり代表取締役を務めるのが、環境ジャーナリストとしても名高い枝廣淳子氏である。しかし、同社の経営中枢である代表取締役副社長・光村智弘氏の過去の重大なコンプライアンス違反が表面化する中、枝廣氏が取っている態度は、自らが説く倫理観とは程遠い「完全なる沈黙」であった。
理念と現実の凄まじい乖離
未来創造部が掲げるミッションは、次世代のために持続可能な社会を築くという、極めて公共性の高いものである。光村氏は同社の副社長として、熱海市におけるブルーカーボン(藻場再生)事業や大阪・関西万博への参画において、地域の中心的なビジネスリーダーとして深く関与している。
しかし、この「未来の子どもたち」という美しい看板の裏側には、到底看過できない事実が存在する。光村氏は2002年、当時39歳でありながら15歳の中学3年生を金銭で買った児童買春の疑いで逮捕された経歴を持つ。当時の報道によれば、自らが経営する会社の社長という立場にありながら、多感な時期にある子どもの尊厳を蹂躙した事実は極めて重い。
ここで問われるべきは、自らの性的欲望のために他者の子どもの未来を損なった人物が、どの面を下げて「子どもの未来」を語り、教育的事業を牽引できるのかという倫理的整合性である。高潔な理念を掲げながら、その裏でかつて子どもを傷つけた加害者を経営中枢に据え続ける現状は、社会に対する「看板の欺瞞」と言わざるを得ない。

ESGを説くジャーナリストの「言語道断な沈黙」
さらに深刻な疑念を呼んでいるのが、代表である枝廣淳子氏の対応である。枝廣氏は、環境(E)・社会(S)・ガバナンス(G)を重視するESG経営の重要性を広く発信し、企業の透明性や社会的責任を説いてきたジャーナリズムのプロフェッショナルである。
当報道部は、未来創造部に対し、経営陣の過去の逮捕事実に関する組織としての認識や、掲げている理念との整合性について、複数回にわたり書面で事実確認を求めてきた。しかし、枝廣氏および同社からは、回答期限を過ぎてもなお一切の回答が寄せられていない。
ジャーナリストとして社会の不条理を問い、対話の重要性を説いてきた人物が、自組織の副社長による凄惨なコンプライアンス違反という「ガバナンス(G)」の根幹に関わる問題に対し、「完全無視」を貫く。この姿勢は、自らが依って立つジャーナリズムそのものへの拒絶であり、公の立場にある指導者として言語道断な振る舞いであると断じざるを得ない。都合の良いときだけESGをビジネスの武器にし、足元の深刻な倫理性・ガバナンスの欠如からは目を背ける。これこそが、同組織の実態を象徴しているのではないか。
行政との共謀が生む「説明責任の空白」
未来創造部の沈黙を後押ししているのは、パートナーである熱海市の姿勢でもある。熱海市は本紙の質問に対し、「環境基本法等に基づき、環境の保全に関する各施策を適切に進めてまいります」という、質問の意図とは無関係な一般論を回答するにとどめている。
行政が「環境施策の遂行」という大義名分を免罪符にし、連携パートナーである人物の適格性やガバナンスへの懸念から目を逸らすことは、実質的にこの「看板の欺瞞」を公認していることに等しい。
子どもたちの未来を語る資格の喪失
「未来の子どもたち」という言葉は、未来創造部や光村氏にとって、自らの地位やブランドを守るための「盾」に成り下がっているのではないか。真に子どもたちの未来を思うのであれば、かつて大人の欲望の犠牲となった少女の存在を無視し続け、報道を「でたらめ」と称して反省を放棄する光村氏の言動を、代表である枝廣氏が黙認し続けることは許されない。
事実を直視せず、説明責任を果たそうとしない光村氏にも、そしてそれを組織として看過し続ける枝廣氏にも、もはや「子どもの未来」を語る資格は万に一つも存在しない。美しい言葉で飾られた理想の裏側に、被害者の存在をなきものにするという残酷な倫理的破綻を抱えたままでは、熱海の、そして次世代の未来を託すことは断じてできないのである。

第5章:結論――熱海のガバナンスを市民の手に取り戻す 沈黙と虚偽、そして「保身」の連鎖
今回の取材を通じて浮き彫りになったのは、当事者たちによる徹底した「保身」と、説明責任の放棄である。 光村氏は、2002年に当時15歳の少女の尊厳を金銭で買った児童買春の疑いで逮捕されたという動かしがたい事実がある。しかし、同氏は本紙の取材に対し、本人配達郵便の受け取りを拒否し、投函された質問状をも無視し続けている。それどころか、周囲には「国際新聞の記事はでたらめだ」と触れ回っているという。自らの加害行為を否認し、過去の罪をなきものにしようとするその姿勢に、次世代を育むリーダーとしての真摯な態度は微塵も感じられない。
また、共同代表として「ESG」や「持続可能性」を説いてきた枝廣淳子氏の姿勢も極めて深刻である。自組織の副社長による凄惨なコンプライアンス違反の指摘に対し、現在に至るまで「完全なる無視」を貫いている。ジャーナリストとして社会の透明性を求めてきた人物が、自らの足元の不都合な真実に対しては門を閉ざす。この態度は、ジャーナリズムへの拒絶であり、公的な影響力を持つ指導者として言語道断と言わざるを得ない。
さらに、これら当事者を公的に後押ししてきた熱海市の対応は、行政の機能不全を象徴している。多忙であろう業務の中、回答を送っていただいたこと、そうした姿勢は称賛に値する。しかし、悲しいことに内容が伴っていなかった。市は、筆頭株主として「スパ・マリーナ熱海」を監督する立場にありながら、本紙の質問に対し「会社法や指針に基づき適切に対応する」という、中身のない定型文を繰り返すのみであった 。この「逃避」とも取れる官僚的な答弁は、実質的なガバナンスの欠如を露呈させている。
これら全ての当事者に通底するのは、子どもたちの未来や新しい社会の創造に対する情熱ではなく、ただ自分たちの「地位、利権、ブランド、そして保身」を死守しようとする冷酷な現実である。
「子どもたちの未来」という看板の欺瞞
光村氏や未来創造部が掲げる「未来のこどもたちに きれいで楽しい地球を残す」という理念は、今や彼らにとっての「免罪符」に成り下がっているのではないか。自らの性的欲望のために子どもの未来を損なった人物が、その過去を隠蔽したまま「子どものための未来」を語る。ここには、救いようのない倫理的破綻がある。
加害者が過去を葬り去り、「子どものリーダー」として喝采を浴びるという倒錯した状況を、行政やパートナー組織が「形式論」で黙認し続けることは、不正義の肯定に他ならない。
そしてその倒錯した状況は、かつて被害を受けた被害者に対して、消すことのできない記憶を呼び起こし続けるという、加害行為が続くことではないか?
また、行政が「適切に対応している」と強弁する裏で、潜在的なリスクが放置され続けている現状は、市民、とりわけ子どもを持つ親たちに対する重大な背信行為である。
熱海の未来に必要なのキレイなだけの空虚な言葉の羅列ではない!
見栄えの良い「環境ビジネス」の仮面を剥ぎ取れば、そこには責任をなすりつけ合い、不都合な事実から逃げ回る大人たちの姿しかない。とかく加害者の人権ばかりが強調される昨今であるが、私たちが真に向き合うべきは、過去に傷つけられた子どもの人権であり、加害者の更生の権利とは、物理的な時間の経過で終わるものではなく、加害者がが誠実な姿勢を取り戻した時に終わるものであるべきだ。
伊豆山土石流災害の教訓は、「形式論によるリスク放置が、取り返しのつかない悲劇を招く」ということだったはずだ。熱海の未来を、不透明なガバナンスと潜在的なリスクの中に放置し続けることは断じて許されない。嘘と沈黙で塗り固められた「偽りの未来」を拒絶し、市民の手で真の正義とガバナンスを取り戻すことが今、求められている。
【検証】渦中の光村智弘氏!更生への権利か、被害者の尊厳か――熱海市で激突する未来のこどもたちを巡るガバナンスの倫理に関する情報掲示板
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