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「警察の裏金」暴露した男が語る内部告発の苦悩 顔出し・実名の記者会見から17年経た今の思い(東洋経済さんからの引用)

(@kanri)
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2004年、北海道警の裏金づくりについて告発した原田宏二氏(右)(写真:共同通信)
公益通報者保護法が施行(2006年)されてから、この4月で15年になる。内部告発者に対して、減給や解雇といった不利益な扱いをすることを禁じる法律だ。だが、日本社会では依然として、内部告発者を「組織の裏切り者」と指弾する風潮が消えない。組織の不正をただすはずの内部告発とは、いったい何か。それを実行した者には何が起きるのか。17年前(2004年)の2月、警察の組織的な裏金づくりを告発した原田宏二氏(83)にじっくりと尋ねた。

原田氏は北海道警察(道警)の機動捜査隊長、警務課長、札幌西警察署長、防犯部長など重要ポストを歴任し、釧路方面本部長を最後に退職した。退職時の階級は警視長(警視総監、警視監に次ぐ階級)。その後は安田生命保険(現・明治安田生命保険)の参与となり、第2の人生を歩んでいた。「実名・顔出し」で組織的な警察の裏金づくりを告発したのは、第2の人生に踏み出していた時期である。「原田証言」が大きな力となって、道警は最終的に3000人余りの警察官・職員を処分し、総額約9億6000万円を国庫などに返納する事態になった。

「内部告発者は裏切り者」は現在も変わらない

――原田さんの内部告発から17回目の2月になりました。

札幌の弁護士会館で記者会見を開いたのは、2004年2月10日のことです。公益通報者保護法の公布は同じ年の6月ですから、まさに内部告発者の保護が問題となっていたころです。

組織内部の人間が、その組織内の不正行為を監督官庁や報道機関に知らせることは社会にとって必要かもしれませんが、一般的には、内部告発者は裏切り者です。それは公益通報者保護法が施行されて10年以上が経ち、「内部告発」「公益通報」という言葉が社会に広く浸透した現在も変わらないでしょう。

私自身は、自分が真の意味で内部告発者だったかどうか、疑問を持っています。当時、大問題となった警察の組織的裏金づくりは、そもそも旭川中央警察署に勤務し、会計に携わっていたと思われる人物が、偽造された会計書類をテレビ朝日と共産党に送ったことが発端です。

それが報道されて問題が拡大し、北海道議会でも大きな議論になっていた時期に、私は記者会見しました。本当の内部告発者は最初の人物です。私は結果的に、それをサポートしたにすぎません。

――原田さんは警視長にまでなった大幹部だったわけです。長い警察官人生の中で、ご自身も裏金づくりに関わっていたのでしょうか。

裏金づくりに関与していなかった警察の人間は、当時、ほとんどいなかったでしょう。私自身、いろんな経験をしました。

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原田宏二(はらだ・こうじ)/元北海道警察警視長。著書に『警察内部告発者』『警察崩壊』『警察捜査の正体』など(撮影:フロントラインプレス)

機動捜査隊長だったときは、ある部下が「私はもう、こんなことをしたくない」と言ってきた。

警察官がパトロールなどに出た際、時間や距離によって「日額旅費」という経費が出ることになっています。これを現場に渡さず、書類を偽造してキャッシュにし、裏金として管理していたわけです。

裏金の存在自体は私も知っていましたが、それまで、そうした訴えを受けたことはありません。でも、私は結局、何もできなかった。

架空の捜査ストーリーを必死に覚えた

こんなこともありました。道警本部の防犯部門(現・生活安全部門)で課長をやっていたとき、数年に一度の国の会計検査院の検査が入ることになった。ところが、出張旅費や捜査協力者に渡す捜査費など、経費は全部裏金になっていたわけです。全部ですよ。

予算を現金化して裏金にするために、架空の事件をでっち上げ、会計書類を作っていた。本当の事件捜査と会計書類上の記載はまったく一致していないのです。

例えば、出張旅費の支出書類に、詐欺事件で捜査員を東京に出張させたという記載があったとします。この場合、東京出張だけでなく、事件そのものがでっち上げです。それを会計検査院に指摘されたらどうするか。私は架空の捜査ストーリーをたくさん作り、メモを作成し、検査官のヒアリングに備えて必死で覚えました。

――そうした裏金づくりが警察内部で広く行われていた、と。

その通りです。

――警察庁から来ていた、いわゆる「キャリア警察官」も組織的な裏金づくりを承知していたのでしょうか。

もちろんです。私は警察庁に3年間出向していましたが、そこではキャリアの人たちが各都道府県との間で裏金のやりとりに関する話をしていました。私の机のすぐ横で、ふつうに電話しているわけです。

道警に復帰して3年後に初めて管理部門(警務課首席管理官)に就任し、キャリアの直属上司に仕え、以降、多くのキャリアの下で仕事しました。中には「さすが東大出」と思わせる明晰な人もいました。

しかし、若いキャリアの多くは、裏金を受け取ることに何の遠慮もありませんでしたし、増額を要求したキャリアもいました。当たり前のように高級クラブや料亭で飲み食いするキャリア、無責任な思い付きで組織改革をやろうとするキャリア、見下すような尊大な態度で地元出身の幹部に接するキャリア……。

こうした人たちが、日頃は現場の職員にもっともらしい指示や命令を発し、組織を動かしていたわけです。そして、将来は都道府県警察のトップに君臨し、日本警察のトップになっていく。地元出身の多くの幹部たちは、唯々諾々としてキャリアのご機嫌をうかがっていました。私はこうしたキャリアには慇懃無礼に付き合うことにしていましたが、“一寸の虫にも五分の魂”という心境でした。

組織的な裏金づくりについては私自身、現職時代は「これでいいのか」という疑問をずっと持っていました。本来は現場の捜査員に渡すべき捜査費などが裏金になり、組織にピンハネされていた。結果、暴力団の捜査などで自腹を切る者もたくさんいました。

その一方で、幹部は裏金から毎月ヤミ給与を受け取ったり、私的な飲食で使ったりしていた。私もその恩恵を受けていた1人ですから、ヒーローでも何でもありません。

やみくもに立ち上がっても潰されるだけ

――疑問を感じつつ、在職中は組織内部で改革に向けて動けなかったのでしょうか。

警察の裏金システムは、警察庁を頂点にしてすべての都道府県警察に存在していると考えていました。巨大な闇のシステムです。現場の一警察官がやみくもに立ち上がっても潰されるだけだったでしょう。それに当時は、裏金システムだけを取り出してやめることは難しいと考えていました。

事件捜査には、いろんな協力者が必要です。例えば、暴力団関係者との関係を維持するには経費もかかる。そうした捜査協力者を警察ではスパイの頭文字を取って「S(エス)」と呼びますが、Sの管理と運用を捜査員個人ではなく、警察全体としてどうするかといった問題と裏金問題は表裏一体でもありました。つまり、簡単には手を付けられない、と。

釧路方面本部長時代、会計課長に日額旅費を現場の捜査員に全額支給することを検討するように指示しましたが、「できない」と言われました。警察内部の機関誌でそれとなく、この問題の改革の必要性を記したこともありますが、大きな反響はありませんでした。

 

――道警は1万人ほどを擁する巨大な組織。大幹部といえども、簡単には改革に乗り出せなかった、と。

釧路方面本部長を最後として道警を退職したのは1995年2月です。その際、恒例になっている退任記者会見を求められましたが、考えるところがあり断りました。

そして4月、天下り先の安田生命の参与となり、そこを2003年4月に退職しました。道警からは再々就職の打診もありましたが、断りました。

道警を退職した年には、北海道庁の裏金が発覚しました。実は安田生命には道庁出身の幹部OBが2人いて、彼らは自分でお金を用立てて裏金を返還していたのです。その時点では、道警の裏金は発覚しておらず、彼らから「原田さんの組織(道警)は組織がしっかりしているからいいね」と言われたことを思い出します。

道警の退職に当たり、OBとの付き合いは、ほどほどにしようと思っていました。警友会(警察のOB組織)も加入せずにいようかと考えましたが、元方面本部長としての立場もあり、5年くらいは仕方がないか、と。それでも、いずれは退会しようとひそかに考えていました。

OBとのゴルフコンペはできるだけ避けた

当時、道警OBの間ではゴルフが盛んでした。多くのグループがあり、頻繁にコンペがありました。私も当時はゴルフを趣味にしていましたが、OBとのコンペはできるだけ避け、それまでまったく関係のなかった一般の方々たちとプレーを楽しみました。ゴルフ以外でも放送大学の受講や趣味のサックス演奏を楽しんでいました。

そして、2003年2月に警友会に退会を届けました。道警の裏金問題がニュースになったのはその年の秋。警友会を辞めた時点では、裏金が発覚するとは思ってもいません。

確かに多くのOBとの交際はなくなりましたが、退職直後からOBとは距離を置こうとしていたので寂しいとは感じませんでした。かえってサバサバしたのを覚えています。現在、回顧録を書いていますが、私の生い立ちや性格、在職中に感じていた警察という組織の姿も、告発に至る私の道筋に影響を与えていたのだろうと思います。

 

警察の組織的裏金づくりは、「原田証言」の前も問題になっていた。警察庁の首脳陣だった人物が自著で明らかにしたこともある。国家公安委員会が1990年代末に設置した警察刷新会議では、座長代理を務めた樋口廣太郎・アサヒビール名誉会長(当時、故人)が「二重帳簿」という語句を使ってこの問題に言及したこともある。また、2004年2月の国会答弁では、小泉純一郎首相(当時)が「(裏金づくりは)日本警察全体の問題だ」と指摘した。

――いろんな指摘があっても、組織の悪弊は簡単に変わらない。それが多くの国民の実感でもあると思います。原田さんの告発後、警察は変わったのでしょうか。

私は、民間企業の勤務経験は安田生命しかありません。しかも10年足らず。したがって、日本社会全体を視野に入れて、組織の問題を語る資格はありません。ただ、私の実名証言が警察組織に変化をもたらした部分はあると思います。

おっしゃる通り、警察の裏金疑惑はそれまでも何度も問題になっていました。しかし、いろんな指摘を受けても、真相が明らかになったことはありませんでした。そもそも裏金の源流は、戦前の特高警察の機密費だと言われている。それほど根深い問題でもあります。

先ほども触れた北海道庁の裏金が表面化した際も、道の機関でありながら道警だけは追及を免れました。このままでは警察の裏金システムは闇に葬られる。私の告発は「これが最後のチャンスだ」と思ったからです。

多くの府県警察で裏金疑惑が発覚

私の記者会見のあと、多くの府県警察で裏金疑惑が発覚しました。その中には、警察OBや現職警察官による告発もありました。裏金問題だけではなく、懲戒処分などに対する警察官自身の不服申し立てや国賠訴訟も数多く提起されました。

その後、警察官の大量退職時代も終わり、若い警察職員も増えました。大卒警察官も増え、女性警察官も増えています。警察官の意識も時代とともに変化しているようです。

しかし、警察職員による犯罪や不祥事が減っているとは思えません。警察庁が毎年公表している懲戒処分を受けた警察職員の数は一時よりは減少しているようですが、若い警察官が上司を拳銃で射殺する事件もありましたし、スピード違反の取り締まりで証拠を偽造するという考えられないような事件もありました。冤罪事件や警察に対する国賠訴訟の提起なども増え、警察に対する市民の眼も厳しくなっているように思います。

――いろんなことがあったとしても、振り返ってみて、原田さん自身は「内部告発者になってよかった」と誇りに思うのでしょうか。

よかったかどうかは簡単に言えません。内部告発に誇りが持てるかどうかは個々人のことですから、他の人についても一概には言えません。私自身は裏金システムにどっぷりつかっていたわけですから“誇り”を持つことはできませんでした。むしろ、英雄のように扱われることに困惑しました。

一方で、幸いと言いますか、当時の報道や道内の世論は私に好意的でした。見知らぬ市民から、同級生から、他府県勤務のときに知り合った新聞記者から、警察職員OBから、多くの方々から激励が寄せられました。

一席を設けて、励ましてくれた人もいました。これには勇気づけられました。小・中学校で同級生から「よくぞ話してくれた。ありがとう。私には誇らしい友人がいる」という手紙も受け取りました。

裏金の根っこと警察の隠蔽体質は残された

私の記者会見をきっかけに道警は内部調査を開始し、最終的には組織的な裏金づくりを認めて謝罪し、約9億6000万円を返還して、この問題は終わりました。

しかし、道警の内部調査では、上層部の関与、特に裏金づくりと裏金隠しの中枢だった会計部門の関与は否定し、幹部による私的流用も否定しました。こうした結論は、私の体験した道警の裏金システムとまったく違います。裏金の根っこと警察の隠蔽体質は残されたのだろうと考えています。

自身の告発からすでに17年。長い時間を経る中で、当時のすさまじい経験は原田氏の内部でも緩和されてきたのかもしれない。告発の前後、原田氏には思いもしない出来事が次々と押し寄せていた。次回は、それらの出来事を振り返りつつ、現代における公益通報の意義を語ってもらう。

取材:フロントラインプレス(Frontline Press)

 
 
投稿済 : 2021年2月20日 21:42

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