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オバマ回顧録の誤訳騒動は氷山の一角。記者が見た日本と欧州のメディアの違い
引用元 ハーバービジネスオンライン
コロナショック、そして米大統領選の報道を通して、あらためて「メディアとは何か」「報道とは何か」が議論されている。感染者数の統計や、ファクトチェックといった点に、これまであまりニュースに興味のなかった人も目を向け始めているのかもしれない。
東京都の感染者数ばかりが注目される謎
筆者は欧州滞在中にパンデミックが拡大。結果、意図せぬ形でポーランドでの海外生活が始まった。ようやく炊飯器も手に入れ、新天地の生活も落ち着いてきたように感じるが、一方で海外での生活を始めたことで、日本とのギャップに気づくことも少なくない。そのひとつが、メディアのあり方や報道の仕方だ。
まず身近な例として取り上げたいのは、コロナをめぐる報道だ。期せずして海外生活が始まったが、当然のことながら日本に残された家族や友人の安否は気になる。そこでスマホでニュースサイトを開くと、見出しで出てくるのは東京都の感染者数ばかり。
次いで、「北海道でも感染者増加」といったように地方の状況が並ぶことがあるが、全国の感染者数や死者数、検査数は何度も画面をクリックしたり、記事を最後まで読まないと辿り着けない。それどころか、「全体図」には一切触れていないものも少なくない。
ポーランドに限らず海外の報道を見ていると、基本的にまず「全体図」が提示される。そのため、(これも余儀なく始まった)肉体労働の現場で学生などと話していても、「これまで感染者が少なかったけど、検査数も少なかったからね」と当たり前のように議論ができる。
ニュースや報道はまず第一に統計やファクトを提示し、そこに「感想」が入ることは滅多にない。あくまで情報を提供するプラットフォームであり、それを見てどう感じるか、何を思うかは読者・視聴者次第なのだ。
形容詞と歪なデータが並ぶ「報道」
たとえば欧米のニュース番組では、アンカー(司会)が簡潔にファクトを伝え、グラフなどで統計を紹介。その道の専門家がコメントして掘り下げるという進行が一般的だ。同時に画面上の帯には、速報性の高いニュースなどが、これまたファクトと統計データなど簡潔な状態で流れていく。
さて、日本での報道はいかがだろうか? これまで人生の99%を通して触れてきた経験、そしてこちらで調べた現在の番組や記事を見る限りでは、まるで違う。
まず大きく違うのは、やたらと「形容詞」が多いことだ。
首脳会談ならば、必ずといっていいほど「笑顔で握手をした」「会談中にはジョークを言う一面も」「強張った表情で」「堅苦しい空気のなか」といった「雰囲気」や「ムード」についての表現がつきまとう。コロナショックならば、「不安」「悩んでいる」といった具合だ。
統計についても、円グラフ・棒グラフの間の数字が省略されたり、そもそも0が基準でないことも珍しくない。ナレーションの声のトーンやテロップや見出しのフォントは言うに及ばずである。
さらには、そこにキャスターや門外漢である「コメンテーター」のかんそ……コメントが上乗せされ、ようやく受け手に届くころには、元の素材とはまるで違う味つけがなされている。
現在、オバマ元大統領の回顧録で鳩山元総理について触れている箇所が絶賛炎上中だが、これらも原文を読むとNHKや時事通信社などが報道している内容とはだいぶ印象が違う。というか、誤訳といったレベルではなく、完全に歪曲報道だ。
たまたまオバマ×鳩山問題を例に挙げたが、職業柄海外報道を訳す機会が多い身からすると、これは氷山の一角に過ぎない。日本での報道と原文を読み比べると、意訳や訳者が加えたニュアンスが非常に多い。これは筆者自身も気をつけなければならないと感じている。
「答えるのがあなたの義務」
ニュースや報道に対してのインタビューや取材も同じである。
日本では主に一方が持論を述べ続け相手はウンウンと頷くだけか、お互いに言いたいことを言うだけでグズグズなまま議論に発展しないことが多い。日本一大事なインタビュー、取材の場といって差し支えないであろう首相の会見ですら、限られたメディアが事前に質問を提出し、それにすらまともに答えないことが常態化している。
一方、欧米ではトランプ大統領がCBSの老舗番組「60 Minutes」から退出してしまったように、そういったはぐらかしやファクトや統計に基づかない発言はとことん突っ込まれる。こうした姿勢を「失礼だ」と思う人が多いことも驚きだが、記者は質問をし、政治家は答えるのが仕事である。
そう強気に言い切ってしまったが、筆者もある日ラジオでニュース番組を聞いていて、思わずヒヤヒヤしてしまった。コロナウイルスの関連報道だったのだが、ひと通りファクトと統計が紹介されたのち、政治家へのインタビューが始まったのである。しどろもどろな返答や言い逃れに対して、アンカーの口調は生易しいものではなかった。
「あなたがおっしゃっていることは、統計が示しているデータと矛盾しますね」
「今の回答は私の質問の答えになっていません」
「私の質問とは違う話になっています」
「質問に答えるのがあなたの義務です」
生放送でこういったフレーズが飛び出すことに衝撃を受けてしまったが、報道の自由がある国でのメディアの役割というのは、本来こういうものである。政治家が「お気持ちを表明」し、それにコメンテーターが「感想」を述べるのは、報道ではないとハッキリ言い切れる。
ワイドショーは「無知のトリクルダウン」
仮にも報道やニュース番組を名乗るメディアですらこの体たらくである。お笑い芸人が司会を務め、タレントがコメンテーターとして首を揃え、より煽情的なフリップが飛び交い、日本の朝夕を占拠する「情報番組」、ニュースをより掘り下げるのではなく、単なる素材として違った角度から切り取る週刊誌については説明するまでもないだろう。
取材対象者がメディアを舐め、メディアが受け手を舐め、まさに無知のトリクルダウンである。
すでに指摘する声もあがっているが、アメリカでトランプ大統領が「フェイクニュース」を叫び始めるはるかに前から、我々はそれに晒されていたのだ。そうしてメディアを信用できなくなった人々が、SNSや動画サイトなどで「真実」を発見するようになり、それをまたメディアが取り上げ事象として拡散する……。負のスパイラルだ。
もちろん、海外にも偏向報道がないわけではない。今年ポーランドでは大統領選挙が行われたが、与党の現職大統領、対立候補ともにメディアの偏向っぷりを理由に公開討論は出席拒否。現職は保守色の濃い国営放送、対立候補はリベラル系の番組にそれぞれ出演したが、相手が立っているはずだった席は空席のままという不思議な「討論」が行われる事態となってしまった。また、同国ではメディアによる検閲なども指摘されている。
それを踏まえても、日本の報道はあまりに酷すぎるというのが、海外で生活し始めて感じたことだ。取材対象者がメディアの質問に答え、メディアは簡潔に事実のみを伝え、受け手がファクトチェックをし、与えられた情報を解釈する。そんなサイクルが、メディアや報道の生み出す「雰囲気」や「ムード」を払いのけてくれると信じたい。
<取材・文/林 泰人>
【林泰人】
ライター・編集者。日本人の父、ポーランド人の母を持つ。日本語、英語、ポーランド語のトライリンガルで西武ライオンズファン
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