社会問題

「ガレキとラジオ」震災詐欺演出で美味しいとこをすする三流監督【博報堂】梅村太郎、塚原一成の厚顔ぶり

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ドキュメンタリーという触れ込みだったはずが・・・

1306gareradi1 「全員しろうとの小さなラジオ局が起こす奇跡の物語。涙と笑いの感動のドキュメンタリー」という触れ込みで、公開が始まった映画、「ガレキとラジオ」。この映画の概略は、東日本大震災で被災した南三陸町の九名が素人ながらも立ち上げたラジオ局「FMみなさん」を取り巻く人々の実情をドキュメンタリーとして追ったものだ。

 公開当初、この映画を見た多くの人たちは、感動の言葉を寄せ、また被災した多くの人達を勇気づけた。制作趣旨に賛同し、スペシャルサポーターに就任した役所広司は、この記録映画が、日本だけでなく、世界中に笑顔の輪を広げ、東北の復興の力になるよう祈ります」と語り、「この企画に参加できて幸せです」とまで語っている。

 また、この映画の収益の一部は復興の寄付にも当てられるということで、2014年1月15日の時点で早くも約166万円に上っていた。

 しかし、ドキュメンタリーだったはずの奇跡の物語はウソだった。

 

朝日新聞による「ガレキとラジオやらせ」報道をきっかけにウソが次々発覚

 感動のドキュメンタリーだったはずのガレキとラジオにやらせがあったと、3月5日に朝日新聞が報じた。

娘と孫を津波で失った女性がラジオに励まされる場面が描かれるが、実際はラジオを聴いていなかった

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震災を機に立ち上げられたラジオ局のラジオを聴いて、被災者が励まされ、生きる希望を持つところこそが、この映画の肝であるし、また、そこがドキュメンタリーであるからこそ、多くの人に感動を呼び起こしたはずだ。

 しかし、全くのデタラメだったわけだ。さらにこの映画監督であり博報堂の社員でもある梅村太郎が悪質なのは、出演を断る老人に何度も押しかけて出演を承諾させたり、娘と孫の取材を装いつつ、挙句の果ては「ラジオを聞いているふりをしてください」と強要したり、インタビューのはずが、発言する言葉まで細かく指示する始末。これは明らかにドキュメンタリーではない。震災のドキュメンタリーと表記するのは詐欺に等しい。

他にも

・ラジオが入らないためにCDで流し、あたかもラジオを聴いているかのような詐欺行為
・ラジオ局がボランティアを東京から呼び寄せたといいつつ、実は制作側のさくらであるという詐欺行為
・聴いてもないラジオにリクエストはがきを書かせる、詐欺及び悪質な強要行為

次回作は、この博報堂の被災者、協賛企業や著名人を巻き込んだ悪質な震災詐欺話商法の顛末の検証映画としてもらいたい。

出演者や協力者たちは、怒る人もいれば苦しんでいる人もいる

ダウンロード この映画の撮影に協力した老婆は映画が評判になるに連れて、罪悪感を覚えるようになり、「映画を見た人に申し訳ない」と言っているという。その自責の念から、朝日新聞を通じた告発につながったようだ。

 つまり、この「がれきとラジオ」が上映されればされるほど、孫も娘も失った被災者であるこの老婆を苦しめていることになる。

 また、スペシャルサポーターとしてナレーションまで務めた役所広司は、「この映画は、今後二度と上映されるべきものではありません」と怒りの心情を露わにしている。

 

この作品に参加した人間として、作り手側の志が高かったことは信じています。だからこそ、この作品の身の引き方として不足、欠点のないよう締めくくって頂きたいと心から思っています。

と役所広司ははっきりと、上映を中止するよう申し入れているにもかかわらず、博報堂は「あくまでも演出にすぎない」と強弁し、上映を強行している。

博報堂梅村太郎・塚原一成よ、他人の苦労や悲劇で善人面するな!

博報堂の梅村太郎、塚原一成の言い分は、呆れてものも言えない。以下は公式ページに掲載されたものである。

皆様へ 

本日(3月5日)朝日新聞朝刊にて、「ガレキとラジオ」について「震災記録映画でやらせ」という報道がありました。 

 「ガレキとラジオ」の製作は、3.11後に南三陸町に生まれた災害FMラジオ局「FMみなさん」を通じ、町が再生へ向かおうとしている姿を、震災を振り返るために残したいという想いで始まりました。地元の皆さまのご賛同を頂き、撮影スタッフは自分たちで調達した車に泊まり込み一年近く必死でラジオ局を撮影しつづけました。

 ご出演頂く候補の皆さんにお話をお伺いし、その中でとある方に出会い、その方から避難生活のさみしさを伺いました。しかしながら、その方は「FMみなさん」の電波が届かない地域にお住まいでしたので、ラジオ番組を録音したCDを提供し、聴いて頂いておりました。  当然、ご本人、ご家族の了承を頂き、撮影を行いました。映画の公開後も、その思いがけぬ広がりを喜んでくださっていましたが、現在はご心労をおかけしておるとのことを、大変申し訳なく思います。

以上は、ドキュメンタリーとして許される範囲の「演出」として考えておりました。しかし、それがドキュメンタリーを逸脱したものだというご指摘は真摯に受け止めたいと思います。

2012年8月の映画の公開後、多くの皆さまから自主上映会を行いたいという声をいただきました。 私たちはできることであれば、今後も、「映画で東北を知る支援」の活動を継続していきたいと願っています。

このたびは、お騒がせ致し誠に申し訳ございません。 何卒、本映画の趣旨をご理解頂けますよう、心からお願い申し上げます。                                                   ガレキとラジオ                       梅村太郎 塚原一成

塚原一成と梅村太郎

以上が、ヤラセ報道に関する監督の言い分であるが、実に傲慢であり、身勝手だ。地元の皆様に賛同を頂いているのであれば、なぜ、このような告発が、地元の人から上がるのか?

「撮影スタッフたちは自分たちで調達した車に泊まりこみ一年近く必死でラジオ局を撮影し続けました。」と言っているが、おい、梅村、塚原、お前たちもこの一年間、車に泊まりこみで撮影したのか?どうなんだ?お前らは東京でぬくぬくしてたんだろ!

 被災地の被災者たちが苦しんできた話を詐欺話に仕立てて利用して、下請けやスタッフの苦労を自分のものかのように語り、他人の苦労や悲劇で善人面して金儲けするのはいいかげんにしろ!

 収益を復興に役立てるだって?白々しい。「収益の一部は」だろ?寄付だのボランティアだのを全面に押し出して、詐欺話でお金をかき集めて、その、ごくごく一部だけを、寄付しておいて、震災支援だというドヤ顔はやめてくれ

お前らのやっていることは、被災者や、本当に被災者のために私財を投げ打ってボランティア、チャリティーをしてきた人々、そして支援してくれた世界中の人々の好意を、善意を踏みにじる行為だ。

  本映画の趣旨を理解いただけますよう、心からお願いするのは、こっちの方だ。本映画の趣旨を理解して、お前らは迷惑かけた被災地の人、そして被災地を助けたいという気持ちで劇場に足を運んだ人たち、協力した人たちのためにも、詐欺的な金儲けは即刻やめて、未だに進まないがれき処理をしに行け。   

国際新聞編集部

ただただ謙虚な姿勢でありのままのことをありのままに伝えることこそ、 ジャーナリズムの本来のあるべき姿。 それを自覚はしているものの、記者も血の通った人間。 時にはやり場のない怒りに震えながら、 時には冷酷な現実に涙しながら、取材をし、 全ての記事に我々の命を吹き込んだ新聞を作っています。

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